2011/03/15

地震

東北地方太平洋沖地震と称される大地震が起こった。
2011年3月11日日本時間14時46分、二回の上方修正を経たマグニチュード9という日本観測史上最大の地震であった。記録も兼ねて、感じたことを書きます。

その時私は8階にある会社オフィスでいつものように数人のメンバーと過ごしていた。よくある軽微な地震だと最初は思ったが、その揺れの大きさというより、だんだん大きくなっていく長さに驚愕し、身の危険を感じた。

落下してくるものに注意しながら、しかし大通りに面した窓際に行くと、これでビルが崩壊したら命が無いなと、生まれて初めて思った。

部門柄、テレビが常時ついていて、すぐに株のチャネルから報道に切り替えた。
すぐに震度7の速報、続いて津波警報、そして津波のライブ映像。
まずはただ事ではないということが判明、それからはさまざまなこと、つまり、普段当たり前のように存在するものが無くなったときの生活というものがクローズアップされることとなった。

まず幸いにも電気水道電話は普通とならなかった。
皆にまず声をかけたのは、情報が大事なので、携帯電話やパソコンの充電をまずは続けること。他部門から充電の要請も相次いだ。

まずは情報。電気があるので、放送されている電波から一斉に伝達されるテレビ、ラジオがありがたい。
そして電話。これがまったくといっていいほどつながらない。回線のパンクも昔と少し様子が違う感じがした。
携帯電話が一番つながらない。そして固定電話もつながらない。しかしIPフォンは普通に通じた。スカイプからIPフォンという経路で複数回一発で通じたのに対し、固定電話の10回に1回程度、携帯からのメールが20回に1回くらい送信完了というつながりにくさが際立った。
携帯音声系がぜんぜんつながらなかったのに対し、光ファイバー系は問題が無かった。光インターネットからは前述のようにスカイプもweb閲覧も問題なかった。ただし接続先が混雑しているところがあり、異常事態を感じさせる。ニュースサイトはもちろん、Twitterなども役に立った。電話の通話より、メールが非常に役に立った。

次に食料の確保。都心、関東圏の電車はすべてストップしたことがすぐに伝えられていたので、数百名の社員がビルの中で足止めになることが判明していた。これも幸いなことに社員食堂の存在が皆の命を支えた。特に、発生時間が食堂の片付けの時間であり、食堂業者の方たちの尽力を得られたのだ。
周囲のコンビニや食料品店で買い物してきた同僚によれば、すぐに食料の表面在庫はカラになったとのこと。

被害状況は刻々とテレビで放映される。考えてみれば電気が通じていることが大きい。
さらにオフィスなので、インターネットが通じている。
必要な情報にどんどんアクセスできた。
やはり、何かをしなくてはではなく、具体的になにをするのかという方向を決めるのは情報の速さと正確さが大事だと痛感した。

夜も10時くらいになると、徒歩で帰れる、または帰る必要のある社員が居なくなった後、数百人の社員がエレベータの動かないビルの各階で身の安全を確保しつつ家族などと連絡を取り合っていた。
たまたま就職活動で来社していた学生たちも被災し、一晩を初対面の者同士、一晩過ごすことになった。

衣食住という言葉をあまり具体的にイメージすることは普段少ないが、ここまでくると、「衣」が問題となる。
ここでは、総務部門の社員により、防災備蓄していた新品の寝袋が、女性在館者に配られた。
寝る場所、つまり「住」についても幸い、寝るには十分な広さと暖房が確保でき、安全に帰れることになるタイミングを迎えるという共通の目的に十分だった。

深夜11時を過ぎたあたりで要請が入った。社員の一人が子供二人を連れて津波に襲われ、建物の屋根に打ち上げられた上、車は流され、約0度の気温の中10時間以上救助を待ち続けた。携帯電話の電池を温存しつつ、救助要請をするも周囲の状況はそれを凌ぐものだったようで、近くに大炎上している地域もある。考えられるすべての要請を終わって数時間たったとき、自力で屋根のある部屋が温存された建物に移動することができたとの連絡が入り、スタッフ一同まずは安堵。

真夜中まで起きているとやはり腹が減る。同僚が早めに社内販売で買っておいてくれたカップラーメンやスナックなどが有難い。この期に及んで、普段と同様に熱湯を電気で沸かすことができるということが奇跡に思えてくる。

帰宅難民の長蛇の徒歩列も、朝3時ころになると少なくなった。しかし車の渋滞は相変わらずだった。
気温は5度前後なので、装備によっては相当寒いはず。メールが入ってきた中に、空港のロビーでダンボール敷いて寝るというメッセージも入ったが、後の報道では、駅の通路、つまり屋根だけ有る「屋外」で毛布なしという人も多かったようで、相当寒かったはずだ。

まだこの地震の正式名称が決まらないのか、テレビ局によって地震の名称が違う。日に日に被害が明らかになってくる状態からすると、東日本大震災、東北・関東大震災という感じになるのではないか。

海外での報道も速かったらしい。相当数の安否確認メールが入ったが、どれもやはり情報不足から来る心配が元となっている。特に東北と東京の距離がイメージできない人は、日本が全部津波で沈んだかの錯覚もあったようだ。やはりここでもSNSの投稿が伝達効率上有効だ。

原発のニュースは早かった。しかし今現在も最も憂慮すべき問題として残されている。
原発の外壁が水素爆発で吹っ飛ぶなどということが映像になるとは想像してなかった。
情報元としてテレビを見ているが、民放でもCMが皆無、つまり広告の広告しか流れない。こんなことも初めてだ。
経済活動の著しい低下している状態と言わざるを得ないだろう。

東京電力の輪番停電、わかりにくいからだろうか後に計画停電と呼ばれるようになったが、初めての措置だとのこと。月曜日朝から首都圏のほとんどの電車がストップするという異常事態となった。ここでは東電の情報発表体制に問題が有ったといわざるを得ず、電気に依存している生活を大きく振り回すことになった。覚えているだけで4回は情報が訂正された。

これからリカバリーのフェーズに入っていくのであろうが、物理的にも、心理的にも、ちょっと時間がかかりそうだ。
できることは何か、常に考えることが求められている状況だ。
デマに惑わされず、平常心を保つ声掛けが必要だ。


2 件のコメント:

Meiko さんのコメント...

こちらでも、NHKや、CNNで、刻一刻のニュースアップデートが、一日中流れっぱなしです。。
かやの外からで、念じるしかないですが、前を見据えて頑張ってください。。。これからが、都会での影響、生活をする上での、ひずみが一杯出てくると思うので。。。。
心より応援しています。
そして、原発が、怒り狂わないことを、願っています。

Aviv さんのコメント...

>Meikoさん
応援どうも有難う。
カナダにはかなり日本語からの翻訳も含め、情報がきちんと伝わっているとの報道やコメントも見ました。
二日ぶりに出社が叶いましたが、今出来ることはなにか、ということをこれ程考えている瞬間は無いです。いろんなパワーが、プラスに向かってくれることを祈りながら、しばらく過ごすことになります。
引き続き応援下さい!